
先日子供たちの集団が「俺コミュ症だからさ〜」と笑いながら自転車で駆け抜けていきました。
コミュ障って嫌な言葉だなあと思っていたけど、とうとう子供たちにまで浸透したんだと寂寞の思いを抱えていました。
コミュニケーションを諦めさせる怖い言葉
コミュニケーション能力がない。という事を
病気だからしかたないと簡単に諦めさせてしまうコミュニケーション障害という言葉は本当に恐ろしい言葉だと思います。
人は生まれた時、言葉をしゃべれましたか?
パパ・ママが言えたのは何歳ですか?
人は生まれながらにコミュニケーションはできない

パパ・ママもしゃべれない時は
「お腹減った」「パンツが気持ち悪い」「眠い」「寂しい」を泣くという行為で必死で伝えました。
やがて笑う事を覚え、笑顔で「嬉しい」「楽しい」「おいしい」を伝えました。
しゃべれるようになってからは「これな〜に〜?」という言葉で
大人たちを悩ませました。
そうして今僕らはしゃべる事を当たり前のものとしてつかっているのです。
察する事ができない。いいじゃないですか、
あなたが物事をはっきりと明確にする事で、
前に進む事だってあります。
うまくしゃべれない。いいじゃないですか。
多弁な人は人の話を聞きませんし、人の話の腰をおります。
そんな人よりじっくり聞いてくれる人の方がよっぽど信用されるし、魅力的です。
自分が赤ちゃんだった事を思い出してください。
しゃべらずとも伝える事ができたはずです。
相手の気持ちを考えて泣いてたわけじゃあないんですよ。
自分が何をしたいか?それを必死で伝えていたんです。
相手のことを大切に思った言葉でも傷つけます。
また相手をけなした言葉で相手が何かに気づくこともあります。
発した言葉の責任は持つ。
よく政治家に求められることではありますが、これは僕たちひとりひとりが心がければもっと楽に生きられると思います。