除夜の鐘

大晦日に108の鐘をつく事が「煩悩」に由来している事はご存知の方が多いでしょう。

私自身「人間て108も煩悩があるんだ」と思っていましたが、ちゃんと調べて見るとどうやら108とは煩悩の数ではないようです。

それでは除夜の鐘で祓う煩悩について語っていきます。

煩悩は大きく分けて2種類

煩悩と向き合う

仏教において煩悩は大まかにわけて2種類あります。

  1. 根本煩悩(こんぽんぼんのう)
    心の中に根本的にある煩悩
  2. 枝末煩悩(しまつぼんのう)
    根本煩悩によって引き起こされる二次的な煩悩

根本煩悩・枝末煩悩はそれぞれ10種類の煩悩が存在します

 10種の根本煩悩

  1. 貪(とん)
    心の底から湧き出る欲望。むさぼり。執着すること。
  2. 瞋(しん)
    自分の思い通りにならないものに対して憎しみ怒ること。
  3. 癡(ち)
    この世は常に変化しているということを理解せず、自分自身が絶対だと思い込むこと。
  4. 慢(まん)
    他人と自分を比べて、自分の方が優れていると誇りたがること。
  5. 疑(ぎ)
    苦しみを滅すると、悟りが開けるということを疑う。
  6. 有身見(うしんけん)
    自分の身体や心の変化を認めないこと。
  7. 辺執見(へんしゅうけん)
    何でも白黒つけたがり、極端な考えをすること。
  8. 邪見(じゃけん)
    因果応報(善い行いをすれば善いことが返ってくる。悪い行いをすれば悪いことが返ってくる)を認めないこと。
  9. 見取見(けんしゅけん)
    間違った見解を最も優れたものと信じ込み、他のものは劣っていると考えること。
  10. 戒禁取見(かいごんしゅけん)
    間違った見解の中のルールに執着すること。

※6~10をまとめて「見(けん)」と言います。

こうしてみると「欲」というより年をとった時に陥りがちな固執や偏見を諌めているようですね。人間だれしもがなる老いた時の心構えのようです。

10種の枝末煩悩

  1. 無慚(むざん)
    自分の罪を罪と思わず恥じないこと。
  2. 無愧(むき)
    他人に対して恥じらいがないこと。
  3. 嫉(しつ)
    他人に対する妬みやそねみ。
  4. 慳(けん)
    人にものを与えたり、自分の持っているものが減るのを惜しむこと。
  5. 悔(け)
    いちいち後悔すること
  6. 眠(みん)
    まるで眠った時のように、心の動きをなくすこと。
  7. 掉挙(じょうこ)
    浮ついて騒がしいこと。
  8. 惘沈(こんじん)
    心を閉ざし、ふさぎこむこと。
  9. 忿(ふん)
    思い通りにならない人や物に対して、危害を加えようとすること。
  10. 覆(ふく)
    自分の罪を隠そうとすること。

根本煩悩から生まれるのが枝末煩悩といいます。

こうしてみると枝末煩悩は罪との向き合い方や躁鬱に関することを語っているように思えます。

それは、罪を犯さぬ人も、躁鬱にならない人もいないという事をかたっているようです。

根本煩悩・枝末煩悩を取り除く「修行」

仏教の修行

仏教における修行には大まかに分けて3つのステージがあり、その中で根本煩悩を祓っていくことになります。

レベル1 欲界(よくかい)

欲望だらけの世界です。食べたい・寝たい・あれ欲しいこれ欲しい・素敵な異性と付き合いたい・・・みたいな、欲望だらけの世界。私たちのことですね。

レベル2 色界(しきかい)

修行によって欲界を乗り越えた次のステージが、「色界(しきかい)」です。欲望から離れ、静かで清らかな心を持つ人がいる世界。

レベル3 無色界(むしきかい)

さらに色界(しきかい)を超えると、「無色界(むしきかい)」になります。肉体は存在せず、清らかな意識だけがあるそうです。

そして、無色界(むしきかい)の先が「悟り」です。

5つの修行

  1. 見苦所断 けんくしょだん
    世界は常に変化しているものだから、何でもかんでも自分の思い通りにならないよ!という考えを学ぶ
  2. 見集所断 けんじゅしょだん
    苦しいのは煩悩があるからだよ!という考えを学ぶ
  3. 見滅所断 けんめつしょだん
    「苦」がなくなれば、理想の世界になるよ!という考えを学ぶ
  4. 見道所断 けんどうしょだん
    欲望の苦しみも、禁欲の苦しみもない状態こそが、「苦」のない世界だよ!という考えを学ぶ
  5. 瞑想
    心を鎮め「無」の状態になる事で欲を祓う修行

除夜の鐘を108回鳴らす理由

仏の道ではこのように、5つの修行を繰り返しながら、修行ステージを上って、悟りにたどり着くまでに、根本煩悩を取り除く98の過程があるそうです。

98の修行に10の枝末煩悩を加えたのが108という数字です。

年末に除夜の鐘を108回鳴らす理由は、1年に私たちが感じた煩悩を取り祓い、新たな年を迎えましょうという意味が込められています。

近年では除夜の鐘が迷惑だだと、寺を訴えたような方もいると聞きます。そのニュースを聞き、怒りを感じた方も多いでしょう。(私もその一人ですが・・・)そんな方は

瞋(しん)自分の思い通りにならないものに対して憎しみ怒ること。

辺執見(へんしゅうけん)何でも白黒つけたがり、極端な考えをすること。

この煩悩を振り返り、新たな年を新たな気分で迎えましょう。

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